徳雲寺本堂 明治15年(1882)7月建立


 徳雲寺は、西尾市立吉田小学校の南150mに位置する浄土宗律派の尼寺です。
 本堂は明治16年の竣工で、木造平屋建ての大きさは正面5間(9・35m)・側面8間(15・04m)です。屋根は4方向に傾斜する寄棟造りで、桟瓦が葺かれています。


本堂内部 本尊の阿弥陀如来

 内部は内陣と外陣などで構成されており、内陣は四天柱を立てて上段床を設け、六角仏壇を置いて阿弥陀仏を祀っています。彫刻や彩色などの仏堂的な装飾を殆ど用いない簡素な本堂は、戒律堅固な浄土宗捨世派・律興派の念仏道場の特徴だと言えるでしょう。


 道を挟んだ東にある弁天堂は、大阪の信徒泉谷儀三郎が庶民の貧窮・狂難の救済を願い、大正7年(1918)7月に大阪浦江(現大阪市)の了徳院より弁財天尊像を当寺に遷祀して、建立しました。木造平屋建ての小規模な仏堂ですが、徳雲寺の伽藍を構成する重要な建物です。
 本堂・弁天堂は、国土の歴史的景観に寄与しているとして、令和2年7月に国登録文化財へ登録されることとなりました。(正式な登録は令和2年冬となります。)


徳雲寺の開祖、颯田本真尼(1845-1928)

 徳雲寺の開祖、颯田本真尼(1845〜1928)は、弘化2年(1845)幡豆郡吉田村(現西尾市吉良町)の颯田清左衛門の長女として生まれ、安政3年(1856)に碧海郡旭村中山(現碧南市霞浦町)の貞照院・天然和上について得度し、その後に幡豆郡横須賀村東城(現西尾市吉良町駮馬東城)の真珠院・本乗尼のもとで修行生活に入ります。


 文久2年(1862)に屋敷の隅に12畳と6畳の部屋と4畳半2部屋の草庵を建てて三年不臥の念仏を行いました。慶応元年(1865)から幡豆郡寺津村(現西尾市寺津町)の瑞松庵・実英尼の下で宗学・律の修行を行い、この頃には弟子が35人になり、奉仕者によって草庵に本堂が建立され、慈教庵と称しています。明治10年(1877)に徳雲寺の寺号公称を許され、同15年(1882)7月徳雲寺本堂の建立を発願し、翌16年(1883)9月に竣工・入仏式が行われました。
 本真尼は明治24年(1891)の濃尾地震、同28年(1895)の酒田震災、同29年(1896)の三陸津波、同40年(1907)の函館火災、同43年(1910)の青森大火、大正3年(1914)の桜島噴火など天災地変水害火災があるごとに全国へ自主救済に出向き、窮民救済に生涯を捧げ、昭和3年(1928)8月、徳雲寺にて84歳で入寂します。


 本真尼が訪れた全国各地の被災地での救済活動は現代まで語り継がれています。日本各地で自然災害が頻発していますが、このような時こそ徳雲寺を訪れて颯田本真尼の慈愛の心に触れてみてはいかがでしょうか。


所在地
西尾市 Google Map
浅岡 優(西尾市教育委員会)