尾﨑士郎記念館(吉良町図書館のすぐ西)。入口右に銅像がある。


「多くの人を愛し、多くの人に愛され、 ずばり真情を吐露する男、それが尾﨑士郎君である」(作家・武者小路実篤)

 小説「人生劇場」で一世を風靡した作家、尾﨑士郎が亡くなって、今年で50年になる。
 尾﨑士郎は「人生劇場 青春篇」以後も、愛欲篇・残侠篇・風雲篇・望郷篇など、全8篇を書き下した。池部良、石坂浩二、高橋英樹らの出演で、14回映画化されている。
 一方で、「石田三成」「篝火」などの歴史小説も発表。帰郷した感慨を書いた「瓢山河」も。戦後、一部の反発やGHQの執筆制限を受けたりもしたが、ひるまなかった。
 腸がんの判明後も、「我が青春の街」の新聞連載はじめ、「雲と残月」「銀座の夜と昼」「一文士の告白」など、死の前年まで次々と作品を書き続け、創作への情熱は絶えなかった。「君去って君のような人はゐないのをどうすることも出来ない」と川端康成も惜しんだ。
「去る日は楽しく 来たる日もまた楽し よしや哀憐の夢は儚なくとも 青春の志に湧きたつ若者の胸は曇るべからず」
 尾﨑士郎の言葉は、今も、いや今だからこそ、私たちの心に、新鮮に響いてくる。
 「しかし そこで くじけるな くじけたら 最後だ 堂々とゆけ」(子息俵士君宛の遺書の一節)
 この言葉は母校、横須賀小学校内の石碑に刻まれている。


尾﨑士郎生誕の地。

東京から移築された尾﨑士郎の書斎(記念館に隣接)。


記念講演会やメッセージ集も 


 西尾市が誇る郷土の作家、尾﨑士郎の、その魂の炎を絶やすことなく引き継いでいこうと、尾﨑士郎没50周年記念事業実行委員会(颯田 洪会長)では、数々の記念事業を計画している。

  • 西尾市制60周年・尾﨑士郎没50周年記念講演会 講師 有名俳優(予定) 平成25年12月15日 西尾市文化会館大ホール
  • 「岩瀬文庫講座」「中川一政挿絵展」 平成25年9月・11月
  • 「吉良まつり」連携事業、「士郎記念ブース」「名鉄ウォーキング」 平成25年11月9・10日
  • 縁故者・著名人のメッセージ集「甦れ士郎さん(仮題)」(高橋英樹さん、みのもんたさんなどの著名人からもメッセージが届いている)
  • ホームページ/「士郎物語」制作(カラクリブックス・マンガ冊子)
  • 尾﨑士郎文学賞表彰に伴う「早稲田大学関係者講演会」 平成26年2月16日、「尾﨑士郎ふるさと大賞(仮称)」表彰式、早稲田大学応援団の演舞で西尾市制60周年と士郎さんへエールを送る。

故郷すなはち私である


 尾﨑士郎は明治31年(1898)2月5日、幡豆郡横須賀村(現吉良町上横須賀)の裕福な商家「辰巳屋」の三男として生れた。横須賀尋常小学校を卒業し、県立第二中学校(現岡崎高校)に学ぶ。早稲田大学高等予科に進学。雄弁会に所属し、「早稲田騒動」の中心メンバーとして活動する。20歳の時、長兄の自殺により、実家は没落。月謝滞納等により大学を除籍となる。大正10年、「時事新報」の懸賞小説で第二席に入選。本格的な作家生活に入った。同12年5月、宇野千代と結婚。昭和5年、千代夫人と不縁となり、5月に古賀清子と結婚。同8年、都新聞に「人生劇場(青春篇)」を連載。川端康成から絶賛され、37歳で一躍ベストセラー作家となる。同11年、内田吐夢監督による映画「人生劇場」が評判となる。
 昭和22年、30年ぶりに横須賀村に帰郷し、村民の大歓迎を受け感激する。士郎の後援会「瓢山会」が組織され、以後毎年吉良を訪れる。「故郷すなはち私である」と記している。
 昭和36年7月、腸がんと判明、同39年2月19日、東京・大田区山王の自宅で永眠、享年66歳。


所在地
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