妙源寺柳堂は、真宗高田派・桑子山妙源寺(はじめ明眼寺、ここでは現称で)の太子堂です。お堂はお寺の正面にあり、寛政年間(1789〜1801)の絵図にも同じで、古くからお堂が大切にされていました。
浄土真宗の寺に、「柳堂」にまつわる話があります。13世紀の半ば、浄土真宗の宗祖の親鸞が関東からの帰洛途中に矢作薬師寺の柳堂で説法し、感銘を受けた方々が真宗に帰依したというものです。これは「柳堂伝説」といわれるように、「造られたお話」と考えられています。一方妙源寺の柳堂は、桑子城主安藤信平が城内の太子堂(柳堂)に親鸞を招き、説法に感銘し妙源寺を開創したとされています。しかし、柳堂にまつわる伝説は複数伝えられており、妙源寺の柳堂の伝承もその一つでしょう。
妙源寺柳堂は、13m四方ほどのお堂です。寄棟・檜皮葺の屋根が印象的で、高欄(手すり)をめぐらした縁が廻っています。中には聖徳太子像が安置されています。正和3(1314)年に修理された時の棟札の写があり、お堂はそれ以前に建立されていますが、「柳堂」と呼ばれるのは江戸時代末と考えられます。
妙源寺は西三河の真宗の始まりの一つです。その後、本願寺の伸長などがあり、矢作川流域の外にも信仰を広めました。やがて徳川家康の時代には妙源寺は家康方でしたが、真宗の門徒の中から「三河一向一揆」が起こりました。真宗各派はその後も信仰の命脈を人々の間に広く保ち、現代に至っています。西三河地域では宗旨が違っていても、法要なので真宗に関わらない人は稀です。
妙源寺柳堂は、宗教の側面のみならず、西三河の歴史と風土の根源の記念碑と見ることができます。太子のお堂の優美なお姿を拝見しながら、地域の信仰と歴史を想います。
※この記事は2021年04月01日時点の情報を元にしています。現在とは内容が異なる場合がございます。