「鶴は千年の、亀は万年の~」の歌詞ではじまる三河万歳「鶴亀」は、新年を迎えた西尾市役所ロビーにて、毎年西野町小学校御殿万歳部員によって元気一杯に披露されます。万歳は新春の吉祥を寿ぐ中世以来の古典芸能で、そのうち「三河万歳」は平成7年に安城市・幸田町の三河万歳とともに国の重要無形民俗文化財に指定されました。
西尾市内では西野町地区で伝承されてきましたが、その起源は諸説あって定かではありません。一説には、実相寺の応通禅師によって始められ、約700年以上の歴史を持っているといわれています。万歳は野外で舞う形もありますが、西尾の万歳師は得意先の座敷に招き入れられ舞ったことから「御殿万歳」とも呼ばれています。江戸時代には徳川氏が三河出身ということもあり、万歳師は幕府の保護をうけて関東一帯で活動していました。また、毎年元旦の江戸城開門式を司ったといわれています。
昭和時代後半になると、西野町では万歳離れが進み、後継者不足が問題となりました。そして、平成の初めには大人の万歳師は途絶えてしまいました。
しかし、万歳の灯を途絶えさせないため、昭和63年からは地元の西野町小学校に創設された御殿万歳部が万歳師らの協力(現在は顧問・指導経験者)のもとで伝統を引き継ぐべく活動を続けています。
部員たちは小学4年生から練習を重ねています。聞きなれない言葉や独特な仕草を、先輩の舞を熱心に観察し、練習を繰り返し、自分の体に覚えさせていきます。練習の成果は市役所での新春の舞や西野町ふれあいセンターフェスティバルに加え、市外からも招待を受けて舞を披露し、多くの人たちに笑いによる福を届けています。
近年ではOB・OGが練習に参加するとともに、一緒に舞を披露するなど世代を超えた交流も始まりつつあります。三河万歳が後世に受け継がれていくためにも、地域の伝統文化の担い手となっている御殿万歳部の活動を温かく見守り続けてください。
※この記事は2023年04月01日時点の情報を元にしています。現在とは内容が異なる場合がございます。