幡豆村の娘さよは、貧しくて巡礼に行けない母親のために、四国八十八札所のお砂をもらってきてくれるよう太兵衛に頼みました。その砂は、見影山の弘法さんの前に置かれました。八十八ヶ所のお砂ふみは村人に広まり、大変喜ばれました。太兵衛は八十八体の弘法さんを祭ることを思い立ち、村人に弘法さんの石仏を寄付してくれるよう頼んで歩きました。やがて、ふもとから山頂にかけて穴が掘られ、小さな弘法さんが納められました。
(はずの民話より)
多くの庶民にとって弘法大師ゆかりの四国八十八札所巡りに出かけることは、とても望めなかった。そのため江戸時代の末期から、山のふもとから山頂にかけて八十八体の弘法さんが祭られた。
昨年3月に復元。標高144mの山に八十八ヶ所
庶民の思いと歴史を伝える幡豆町の見影山穴弘法が復元された。山肌に石を積み上げた祠の中に、弘法様が祭られている。全国でも例のない山道を巡る弘法さんとあって、岡崎や豊橋など遠方からお参りに訪れる人もいる。
麓から標高144mの山頂へ、そして下山して麓に帰るまでの順路の距離は約800m。1時間半ほどかけて、参道をくねくねと、ゆっくり登り、下って行く。緑の樹木の香りを楽しみながら。山頂からは三河湾が一望できる。
明治25年3月の穴弘法寄進者88人の名簿が近くの徳林寺に残っていた。この時期に風化していた弘法様を新しく作り、祭ったと思われる。しかし、その後も、荒れてしまったことから、復元の声が上り、地元有志により、平成18年、見影山穴弘法補修復元委員会が結成された。
調査の結果、穴弘法88体のうち60体はそのままに。残り28体を新しく作ることにした。明治25年の寄進者のうち38体は子孫に引き継がれることに。そして50体は新たに寄進者を募った。3年かけて平成21年3月に見事復元された。
補修復元委員会は保存会となり、現在120人が加入。交替で月2回の清掃に当たっている。ぜひ一度訪れてみたいパワースポットでもある。
※この記事は2010年10月10日時点の情報を元にしています。現在とは内容が異なる場合がございます。