伊賀八幡宮

伊賀八幡宮

伊賀八幡宮は、松平・徳川氏ゆかりの神社で、極彩色に彩られた華麗な建物は、六所神社・瀧山東照宮とともに岡崎市を代表する建築物である。同社は、家康先祖にあたる松平親忠が文明年中(1469~87)に勧請したとされ、松平氏の氏神として篤い信仰を受けた。家康は永禄9年(1566)、慶長16年(1611)に社殿を造営している。社領は家康が慶長7年に228石を寄進して以降、加増を受け、のちに540石になる。

現在の景観が整うのが、徳川3代将軍家光による寛永13年(1636)造営時である。棟札によると、奉行は当時岡崎城主であった本多忠利、大工は幕府抱えの鈴木長次であった。

家光によって造営された社殿は、本殿・幣殿・拝殿が複合された権現造りと呼ばれる形式である。昭和27年の屋根葺き替え工事の調査で、本殿と幣殿の取り付き部分の収まりが不自然であることなどにより、本殿のみは家光以前、すなわち家康時代のものを利用していることが判明した。境内には、このほか、随神門、神供所、石橋及び明神鳥居があり、いずれも国指定重要文化財になっている。なお、もと鐘楼があったが、明治期の神仏分離により移され、西尾市吉良町の西福寺に現存している。


石橋

石橋


昭和8年(1933)に国の重要文化財に指定された伊賀八幡宮 棟札

昭和8年(1933)に国の重要文化財に指定された伊賀八幡宮 棟札


伊賀八幡宮社殿の屋根は檜皮葺きである。檜皮葺きは、杮葺き・茅葺き・瓦葺きのなかで最も格式の高い技法である。檜の立木から剥いだ皮を少しずつずらしながら重ねて竹釘で固定する。檜皮の耐用年数は約40年とされており、40年毎に葺き替えが必要となる。家光による造営以降、現代に至るまで葺き替え工事により建物が保たれている。歴史的建築物を後世に伝えてゆくには現在の私たちのたゆまぬ努力が必要なのである。


所在地
岡崎市伊賀町 Google Map
堀江登志実(岡崎市美術博物館)