油ヶ淵と碧南市民病院の遠望
碧南市民病院は往古の入り江の中心部分に建つ


 油ヶ淵は碧南市と安城市の境に位置する愛知県唯一の天然湖沼である。ここを地元では「蓮如池」と呼ぶ。「蓮如さん」の愛称で親しまれる西端応仁寺の前に広がるこの池は、500年前は三河湾のさらなる入り江であった。ここに応仁年間、本願寺の蓮如上人が来訪されたといわれ、それが寺名の由来でもある。そして400年前、矢作川の河口が米津に変更され、やがてこの入り江は油ヶ淵(湖沼)の姿になった。

 如光はこの池から「化生」したと「上宮寺伝」に語られている。地元ではこの池に住む龍神が、応仁寺の灯明の油を捧げ続けたと伝えられ(「油淵之碑」)、如光はその龍の子であったとも伝承される。三河地震で倒壊した如光堂は堂々としたものであったが、現在も小振りに再建されている。


如光堂と如光像
如光と油ヶ淵の縁由を今に伝える


 このように伝説的存在にきこえる如光は、実在の人物であり、この地方の室町後期の重要人物である(1417~1468)。すなわち、蓮如上人の前半生の最有力門弟であった。上人は、長禄元年(1457)43歳で本願寺を継承して後、当時の民衆に力強く布教し、その存在感を増した。天台宗比叡山延暦寺の傘下にあったため、高額な礼銭(末寺銭)を要求されるようになる。困惑する蓮如上人に、如光は「礼銭ヲホシカラハ、料足ハ、三川ヨリ上セ、アシニフマセ申ヘク候」と豪語したとする(近江堅田・本福寺記録)。大金を工面するエピソードは、「蓮如上人絵伝」では比叡山側の本願寺襲撃に対し、奪戦する如光の姿となって描かれる。

 史料上の如光は、前述のように大金を調達できる実力を持っていた。如光は佐々木上宮寺の住職となり、上人との深い関係から「蓮如・如光連座像」はじめ「親鸞聖人絵伝」「親鸞聖人御影」「法然上人御影」「十字名号本尊」など、多くの礼拝物を蓮如上人より授けられた。如光没後の門弟帳である『如光弟子帳』によれば、如光門徒は西三河矢作川流域と尾張中島郡を中心とする木曽川沿いに散在した。さらに、元々は伊勢国射和・大和国吉野にまで門徒が存在していた。これらのことは、耕作民というより交易や海川に関係する海・川の民が門徒の中核であったことを示しているようである。


蓮如・如光連坐像
土呂山本宗寺蔵、斎宮歴史博物館寄託、三重県指定文化財(『應仁寺と三河の蓮如上人展』碧南市教育委員会、2018年)
蓮如の数多い門弟の中でも連座像は如光のみで、これにより如光の面貌が伺える

蓮如・如光連坐像 裏書
土呂山本宗寺蔵・斎宮歴史博物館寄託・三重県指定文化財(『應仁寺と三河の蓮如上人展』碧南市教育委員会文化財課、2018年)
裏書の右側は蓮如の筆で、如光の没した応仁2年11月1日に授与されている。左側の地名から伊勢や大和吉野にも門徒がいたことが判る


 また「上宮寺絵伝」では、如光没後鷲塚に墳墓を築いたとする。このことにより、如光の油ヶ淵化生伝承の意味がみえてくる。すなわち、如光の海・川の活動域の拠点が、後の油ヶ淵となる入り江一帯であったと想定できる。鷲塚には今やその伝承はないが、当時は入り江の先端(島)であり、如光没後やがて本願寺直属(血縁寺)土呂坊本宗寺の別坊たる鷲塚坊本宗寺が造営された。そして「寺内」として町が形成され、交易の拠点となった。先の射和も吉野も上宮寺から本願寺へ譲与された。こうした経緯からみても、まさに如光は後々まで油ヶ淵の主であった。西端応仁寺に如光堂が存在する由縁である。その西端こそ、如光の出身地、または本拠地であり、近親と考えられる恵久(恵薫)が西端道場主として守り(『如光弟子帳』・六字名号裏書)、やがて上宮寺支坊の隠居所となる。寺号を唯願寺と称し脇道場(後の栄願寺・康順寺)を構え、後に応仁寺となった。


上宮寺本堂(岡崎市上佐々木町)
如光が住職となった古い由来の上宮寺だが、現本堂は斬新な建物

西端應仁寺本堂
現在は無住のため、地区の代表者により管理・運営されている


 如光はいわば湖族の一面があったが、仏教者としても「大学匠」(本福寺記録)であった。事実蓮如上人の『御文』にも、如光の没後、三河の安心(信心)が混乱していることを案ずるものがある。教義の上でも、如光は三河門徒を統率する実力者であった。


 ところで、応仁寺の紋は丸に横三本の三つ引である。これは杉浦姓を名乗る上宮寺所縁の数か寺にもみられる。これらは『別本如光弟子帳』からもうかがえ、恵久の同族が上宮寺系道場の坊主になっている。如光自身も西端由来の伝承から、杉浦一族の一員、というよりリーダー的存在であった可能性は否定できない。杉浦一族、そして如光門徒団の拠点が西端や鷲塚を含む今の「油ヶ淵」である。「如光池」ともいえよう。また、全国的にみても、杉浦姓がこの一帯に集中する。後には三本杉や九枚笹などの家紋へも変化するが、少なくとも杉浦姓は現在の油ヶ淵周辺の安城市・碧南市・高浜市に頗る多く、その多くは真宗門徒である。500余年前の如光以来の歴史を今に感ずることができる事象ではなかろうか。


真宗大谷派蓮成寺住職 同朋大学仏教文化研究所客員所員

青木 馨