二之丸整備鳥瞰図

はじめに

 西尾市歴史公園は西尾城本丸・二之丸跡を中心に、平成8年3月に「六万石の城下町 西尾」のシンボルとして整備されました。現在は西尾市の歴史と文化を体感できる施設として、市内有数の観光施設として、市内外の人々に親しまれています。

1. 西尾城の沿革と特徴

 西尾城の前身である西条城は鎌倉時代に承久の乱で戦功をあげた足利義氏が長男長氏の居城として創建したと伝えられています。以後、足利長氏の子孫は吉良と改姓し、西条吉良氏の居城となります。
 永禄4年(1561)徳川家康の家臣の酒井正親が城主となります。『家忠日記』によると天正13年(1585)に岡崎城とともに改修工事が行われ、このときに築かれたと考えられる丸馬出や障子堀が発掘調査によって確認されています。天正18年(1590)、徳川家康が関東への転封後、豊臣系大名の田中吉政が城主となり三之丸の構築をし、徐々に近世城郭へとして整備されていきました。
 江戸時代になると、譜代大名が城主を務めました。寛永15年(1638)年に太田氏が城下町を堀で囲んだ総構えの計画を立案し、井伊氏に引き継がれ明暦元年(1655)に完成を迎えました。このころまでには、天守が二之丸に築かれたと考えられています。明和元年(1764)に大給松平氏が入城すると、明治時代に至るまで6代が城主を務めます、所領は6万石に増加し、城下町も大きく発展しました。明治維新後も二之丸御殿が西尾藩の県庁として使用されましたが、明治4年に廃城となり、現在では土塁の一部などがわずかにその面影を残しています。

2. 二之丸跡整備に至る経緯


二之丸居所之図 江戸時代後期に描かれた絵図です。
二之丸建物の配置を知ることができる貴重な絵図です。

 昭和55年、西尾城天守の再建を目的とし「西尾城再建友の会」が発足されました。昭和60年には西尾市によって基金条例が制定され、これまでに約5億2000万円の寄付金が積み立てられてきました。しかし、発起人の高齢化に伴い、会の活動も下火となります。
 平成19年、二之丸跡に建てられていた錦城体育館が解体され、その跡地を歴史公園と一体化する整備計画が立てられました。同年、二之丸丑寅櫓推定地の調査を行い、堀跡と櫓台に関連する遺構を確認しました。平成20年には天守の遺構を確認するために発掘調査を行いましたが、過去の造成によりすでに破壊されていて、天守に関する遺構は確認することができませんでした。しかし、江戸時代の井戸・土塀跡を検出し、『二之丸居所之図』(市資料館蔵)と整合した結果、高精度で重ね合わせることができ、天守の位置を推定しました。この調査成果を踏まえ、整備計画を策定しました。
 平成23年には基金の一部を利用し、天守台復元を含めた二之丸周辺整備計画が立ち上がりました。市民からなる検討委員会による審議を経て、平成24年12月より整備工事が行われ、平成26年3月に天守台などが完成しました。


天守台石垣写真
石垣の完成写真(西側から撮影)。幡豆石を使用し、高さは約6mです。


出土石
調査で発見された石を展示しています。(写真手前)また、天守台の一部にも出土した石を再利用しています。


発掘調査出土石垣
天守台基礎工事中に発見されました。かつての天守台石垣の最下部です。松の胴木の上に花崗岩が野面積みの工法で積まれていました。


3. 二之丸跡整備の概要


 本整備は西尾市歴史公園の玄関口のシンボルとして西尾城二之丸跡地へ天守台・丑寅櫓台の復元に関連した整備を行いました。位置・規模については発掘調査成果の他に、『西尾城城郭覚書』(岩瀬文庫蔵)・『二之丸居所之図』(西尾市資料館蔵)などを参考としました。

[天守台]

 一般的に本丸に築かれることが多い天守が、西尾城では二之丸に築かれています。二之丸に天守をもつ城は全国的にも珍しく、西尾城の特徴の一つです。絵図では天守台は9間×7間に東多門(3間×3間)・南多門(3間×3間。ただし、南西部1間×1間凹む)が付随しています。天守は三重で高さ8間2尺(約15m)、石垣は土居1間半とあわせて、6間半(約12m)とされています。※1復元した石垣は高さ約6mで石材には幡豆石を使用し、野面積みの工法で積み上げています。石垣の一部には発掘調査で発見された石垣の一部を再利用しています。
※1 絵図によって違いがあります。

[二之丸丑寅櫓台]

 平成19年発掘調査結果をもとに、鍮石門との位置関係を考慮して復元を行いました。
櫓台は3間×4間で二重の櫓が築かれていました。復元した櫓台は天守台と同様に幡豆石を使用しています。

[北側土塁]

 天守台・丑寅櫓をつないでいた土塁です。かつて土塁の上には土塀が建てられていました。北側法面は芝生が張られています。この部分は、絵図にも石垣が描かれていません。

[鍮石門北側土塁]

 現在復元されている鍮石門南側土塁と同様の土塁の一部を復元することで、二之丸は本来、土塁でかこまれた郭であったことを示しています。 

[井戸址]

 発掘調査で確認された江戸時代の井戸を示しています。この井戸は『二之丸居所之図』にも描かれています。

[芝生広場]

 園路内側は芝生広場とし、茶会などのイベントにも活用できるスペースとします。周縁に天守台・櫓台を周遊できるように園路を整備し、休憩できる場所として東屋を建てました。
 西尾市歴史公園は、天守台や資料館で西尾の歴史に触れつつ、旧近衛邸では西尾の抹茶を味わうことができます。今後も、西尾市の歴史・文化・観光の拠点として、西尾市歴史公園を活用してまいりますので、みなさまのご来園をお待ちしております。


西尾市教育委員会

浅岡 優