家康家臣の名称


[写真1]徳川二十神将図(安城市歴史博物館蔵)

[写真1]徳川二十神将図(安城市歴史博物館蔵)

徳川家康のもとで活躍した武将のうち、特に家康の信任あつかった四人は「徳川四天王」といわれています。周知のとおり、酒井忠次、本多忠勝、井伊直政、榊原康政です。また、「徳川十六神将」という戦闘などで活躍した家臣を家康の守護神になぞらえて配置した絵などがあり、類似に二十神将・二十四神将などもあります。(写真1)

そして今、戦国・織豊期の徳川家を支えた家臣は「三河武士」と総称され、家康と同じ三河出自の武家の集団が注目されています。彼等が忠勤に励んだことにより家康は天下統一を果たしたとされ、評価が上がってきています。


しかし、家康一代で大名として発展させた訳ではなく、家康の先祖の松平氏の時代から西三河に強い勢力を築いていて、それを基盤として、家康が戦国大名、そして天下を統一していったのです。その基盤となった「三河武士」はどのようなまとまりだったのでしょうか。広義には松平初代親氏から家康の岡崎在城時代までの間に仕えた(服属した)家を「三河譜代」と称し、狭義では初代から清康の代までに仕え始めた家を指します。


三河譜代


江戸時代初期に成立した「三河物語」で譜代という言葉が使用され、さらに仕えた時期で安城譜代、山中譜代、岡崎譜代の三つに分けられています。四代親忠が安城に分立してから七代清康の岡崎移転までの間に仕えた家を安城譜代とし、大永四年(一五二四)に清康が岡崎松平家の信貞を降ろして岡崎城と所領を入手した際に仕えた家を山中譜代、それ以後を岡崎譜代としています。

また、「武徳大成記」は初代親氏から三代信光までを岩津譜代、四代(安城松平家初代)親忠・五代長忠(長親)を安城譜代、清康の代を岡崎譜代、それ以降を岡崎譜代としています。

これら譜代は同時代に記載された史料にはなく、それぞれの譜代の分け方もその後の諸書により違いますが、岩津・安城譜代には酒井・本多・阿部・石川・青山・植村・大久保・鳥居・平岩・内藤・成瀬・渡辺氏が挙げられています。山中・岡崎譜代には中根・榊原・松井・高力・伊奈・天野・安藤・永井・久世・米津・大岡などが挙げられています。家康のもとで有力な一族として活躍した者を多く輩出していますが、これだけではなく、古くから仕える一族は他にも数多くいました。譜代の出身は、松平氏の勢力範囲である西三河、特に矢作川周辺でした。

一種、家格のような分類ですが、当時の格式として存在したとはいえず、江戸時代初期にそれぞれ譜代の一族の勢力により作られたとも思われ、仕えた時期も文書史料から確認することが必要となります。

譜代の中でも筆頭の一族といえば酒井氏が挙げられるでしょう。酒井氏はおおよそ二家あり、左衛門尉家と雅楽頭家です。左衛門尉家は酒井忠次を代表とする家で、雅楽頭家は西尾城主酒井政家や、江戸幕府内で大老となった忠世・忠勝を輩出した家です。

酒井二家


酒井家は「三河物語」には松平初代親氏の庶子広親を祖と伝えています。諸説ありますが、それぞれの系譜は、左衛門尉家が広親-氏忠-康忠-忠親-忠善・忠次(兄弟あるいは父子)-家次、雅楽頭家が広親-家忠-信親-家次-清秀-政家(正親)-重忠・忠利(兄弟)とあり、家康の代のそれぞれの当主は、左衛門尉家が忠次-家次、雅楽頭家が政家-重忠・忠利です。


[写真2]酒井氏先祖の墓(西尾市吉良町萩原小野)

[写真2]酒井氏先祖の墓(西尾市吉良町萩原小野)

しかし、その伝承の確証は難しく、広親を祖としていますが左衛門尉家と雅楽頭家の系図には二代目以降、両家を結びつける当主名が伝えられていません。また、酒井氏発祥の地は二か所あり、一つは幡豆郡酒井郷、現在の西尾市酒井町付近で、もう一つは碧海郡坂井郷、現在の刈谷市西境・東境町とされています。幡豆郡酒井郷には、酒井家の墓地が史跡として残っていますが、両方とも由緒に乏しく、確定できません。(写真2)

関係する土地としてはほかに額田郡井田郷(岡崎市井田町)があります。この地には酒井氏が建立した回向院があり、酒井忠次の父、あるいは兄と伝えられる酒井忠善などの墓地があります。(写真3)また、岡崎の龍海院(同市明大寺町)には雅楽頭家の酒井政家(正親)の墓が残っています。両家別々の菩提寺です。(写真4)

初代親氏の代から仕えていたとする酒井氏ですが、系譜等で松平氏との関係が記されるのは、左衛門尉家は忠次から、雅楽頭家は政家の祖父家次からで、松平氏草創期にはその存在は不明瞭です。また、二家の系譜にはそれぞれ他家の分かれが記載されていない事もさらに謎が深まります。

松平氏の庶子という伝承は後世の作為が感じられるとともに、両家の名が同じくしていることで単純に一族であった、というのも考え直すべきと思われます。


[写真3]酒井忠善墓(岡崎市鴨田町)

[写真3]酒井忠善墓(岡崎市鴨田町)


[写真4]龍海院 酒井政家碑(岡崎市明大寺町)

[写真4]龍海院 酒井政家碑(岡崎市明大寺町)


筆頭家臣である酒井忠次の先祖ですら、このように出自や経歴、仕えた年代が確定できません。ましてや他の譜代たちも同様です。


家康の伝承とともに後世に作られた「三河譜代」や「三河武士」像、研究上では「松平中心史観」からくる譜代家の系譜のゆがみなど、江戸時代になって譜代の系譜には様々な要素が加えられていることも難解にしている原因なのです。

2023年7月より安城市歴史博物館にて特別展「安城譜代1徳川の支柱酒井氏‐左衛門尉家と雅楽頭家‐」を開催予定です。ぜひ皆さま足をお運びください。


安城市歴史博物館 学芸員

三島 一信