島原本光寺 松平又八郎 豊次郎之母墓

島原本光寺 松平又八郎 豊次郎之母墓

深溝松平家は現在21代まで家が続き、史跡島原藩主深溝松平家墓所は19代までの墓所が築き続けられている。現在我々が目にするこの歴史の連続は、過去には断絶する可能性もあったが、この断絶を回避し、繋げ続けた人物が真正院、平井春子という女性であった。

平井春子のことを語る前に、まずは春子が侍妾した松平忠雄について整理しておきたい。松平忠雄は額田郡大草村領主松平伊行の次男であり、深溝松平本家6代松平忠房の養子となり本家の家督を継いだ人物である。養父忠房は文武に優れた為政者であったが、気難しいところもあり、忠雄は気苦労が絶えなかったようである。また忠房の次男忠倫は廃嫡されたとはいえ忠房の実子であることに変わりはないので、忠雄は常に気を遣い続けていた。行為の是非は別にして、忠雄が自我を発揮し始めるのは、忠倫が死去してからである。

この忠雄を支えたのが平井春子であった。春子は平井善五郎(本国紀伊)の次女として産まれ、忠雄に侍妾として仕えた。春子は、享保2(1717)年から5(1720)年の4年間に3人の子供を産むなど、忠雄の寵愛を最も受けていた女性であった。享保3年(1718)に嫡男となる又八郎を産んだことで、忠雄は、春子を「御部屋様」にしている。また春子は享保5年に豊次郎を産むが、父親の平井善五郎が「御子様方御附」として嫡子の養育係に、兄の孫一郎が「奥大目付」として取り立てられている。これは春子が手配したのであろう。

しかし、春子が産んだ又八郎は3歳、豊次郎は7歳で亡くなり、島原領内の浄林寺(現在の島原本光寺)へ埋葬される。直系の嫡男を失った忠雄は支族松平勘解由次章の息子定方(忠救)を養子に迎える。その際、後の藩主となるべき定方に娶せたのが、忠雄の養女となっていた春子の姪であった。残念ながら忠救は家督を継ぐ前に死去してしまうが、忠雄が次に選んだのが、忠救の弟芳喬、後に8代当主となる忠長(忠俔)である。忠長は家臣から本家への養子であるため、家督継承の正当性の確保は必要であったはずである。そして春子は忠長にとっては養母の位置づけとなるべき女性であるため、とりわけ尊重しなければいけない人であった。また、この頃の深溝松平家には、春子以外に、家訓などを把握し、次代へ継承させることのできる人物がいないという藩・家の現実もあった。


さて、深溝松平家にとって春子(この頃は真正院だが、以降も春子で統一)の存在感の大きさがわかるのは忠俔が死去して以降である。深溝松平家は、当主が亡くなると必ず深溝本光寺に埋葬する葬制を採用していた。ところが、忠俔は藩主在籍中に島原で死去したため、前例のない出来事に対して、また葬儀にかかる莫大な経費を抑えるために、国許は浄林寺の松平家墓所に埋葬することを望んだのである。国許が江戸藩邸に相談したところ、藩邸からは「本藩歴世の公は深溝に葬る。宜しく旧例に従うべきなり」との指示が出された。この時、春子以外に深溝松平家の家訓を守るために江戸藩邸の意見を集約できた人は存在しえなかったはずである。そして、家督の継承についても同様であった。忠俔も子供がいなかったため、大坂西町奉行を勤めていた支族松平勘敬の長男忠刻が養子として本家の家督を継ぐこととなる。遠い一族からの養子や短命の当主が続いたことで、春子が深溝松平家の当主としての心構え、島原藩主としての帝王学を教え込む必要があった。当然、忠刻以降の当主は国母的な存在である春子に対して最高の礼を尽くしている。


最後に春子の終の棲家について触れて終幕としたい。春子の本葬墓は宇都宮慈光寺に、分霊墓は島原本光寺(浄林寺)、深溝本光寺、青山玉窓寺に建立されている。このなかでも、特に島原と深溝の墓は重要である。島原松平家墓所は忠房実母福昌院の墓所として開かれたが、実際は忠雄墓を中心に展開している墓所である。元文元(1736)年4月から、忠雄の分霊墓建立のため浄林寺の松平家墓所の整備を行っているが、亡くなった3人の実子の墓、自身の逆修墓も含めて、春子が整備を差配した可能性が考えられている。現在見ることのできる島原の墓所は、忠雄と春子と子ども達からなる「家族」や「愛」を具現化した空間ともいえる。ところが、忠雄の遺骸が納められている深溝の東廟所内は当主墓の空間であり、忠雄以降、深溝本光寺には当主以外の墓を建立しない方針であった。そのようななか、春子は忠雄の13回忌に合わせて、東廟所の参道下の入り口に等身大の可能性がある地蔵菩薩を逆修墓として建立したのである。夫への思いを貫き、13年かけて、分霊墓とはいえ側室が墓を建立できるように持って行ったのであろう。


宇都宮慈光寺 真正院墓

宇都宮慈光寺 真正院墓


深溝本光寺 地蔵菩薩像

深溝本光寺 地蔵菩薩像


何気なく東廟所の入り口に立っている地蔵菩薩像。私はこの地蔵菩薩の微笑みを見るたびに、春子が菩薩像に託した、夫そして家族への深い愛を感じるのである。


幸田町教育委員会生涯学習課

神取 龍生