矢作川を望む平戸橋に広がる閑静な森に佇む「民芸の森」。豊田市民による豊田らしい身近な民芸を展開する場として平成28年春より一般公開された。この地を愛しここに住み、民芸を愛した本多静雄氏によって名付けられた民芸の森は、本多氏のお屋敷だった。屋敷跡には、移築された田舎家や茶室が残されているほか、陶製の狛犬や石碑をはじめ日本最古級コンクリート電信柱の碑などユニークな品々が森の中にある。今回は、新緑と鳥のさえずりを楽しみながら森を散策した。

本多静雄氏について


 本多静雄氏は、電気通信事業と科学技術の向上に献身するとともに、古陶磁器の研究に取り組み、猿投窯を発見した。貴重な資料や出土品の収集、研究をはじめ、郷土文化の発展に貢献した功績により、昭和52年(1977)に豊田市名誉市民となった。本多氏は、豊田市花本町の出身で、内閣技術院を退官後に郷里に戻り、昭和21年(1946)ここに居を構えた。ここで実業家として活躍する一方、古陶磁の研究を行いながら、その後茶室や田舎家を移築して、ここで過ごしている。平成11年(1999)102歳で永眠。




1 正面入口

平戸橋から西へ県道58号沿いに正面入り口がある。左手には、馬車宿の碑、青隹居の碑などがあり、その奥に市名木指定のクヌギ林が広がっている。



2 陶磁の狛犬


正面入口を入って左に曲がると2体の狛犬が出迎えてくれる。戌年生まれの本多氏は陶磁の狛犬の研究者、収集家として知られている。




3 茶室「松近亭」


狛犬をくぐり抜けると苔むした茅葺屋根の茶室がある。本多氏が移築・改装し、電熱器のついた風炉や照明、扇風機、電話を設けて、自ら「電気茶室」と呼んでいた。市内寺部町の尾張藩の家老渡部家・家老の大沢家にあった煎茶席を昭和24年(1949)に移築。



4 日本最古級のコンクリート製電信柱


昭和3年(1928)昭和天皇が即位報告のため伊勢神宮へ参拝に行かれる際に、国家事業として通信ケーブルを配線するために建てられた電信柱を移築したもの。当時、本多氏は担当者をしていた。



5 田舎家「青隹居」


江戸時代中期頃の建物を本多氏が移築し、曲り家に改築したもの。内部のふすまは染色工芸家・三代澤本寿氏が作った色紙を使用している。室内を見学することができる。




6 狂言舞台


本多氏は狂言が好きで、毎年春に開催していた「陶器と桜を見る会」にて、この舞台を使って狂言を上演していた。



7 旧海老名三平宅(市指定文化財)


挙母藩・尾張藩校の剣術師範を務めた4代目海老名三平が明治の廃藩後に住んだという由緒ある建物。江戸時代後期の小農家の暮らしぶりを見ることができる。



取材場所
豊田市平戸橋町 Google Map
取材・撮影協力
豊田市民芸の森