家康公の故郷松平郷を訪ねて


 家康公の故郷、松平郷には松平氏を偲ぶ歴史的な資料や史跡が多く残されている。その代表ともいえる松平東照宮から高月院にかけての約2ヘクタールが、歴史と自然の里「松平郷園地」として整備されている。自然保全に配慮された室町時代を連想させる景観は、訪れる人々に心の安らぎを感じさせてくれる。
 松平郷の開拓領主は、後宇多天皇(在位1274~1287年)に仕えた公家の在原信盛。入郷したのは弘安年間(1278~1287年)の頃で、現八幡神社松平東照宮境内に本屋敷を構えたと伝えられている。信盛の子信重は、開拓を進める人馬の道を作り交通の便を図った。後にこの地を訪れた旅の層徳阿弥は、信重の末娘水女の婿として家を継ぎ親氏と称した。ここに徳川家の始祖松平太郎左衛門親氏が出現し、徳川300年の礎となった松平八代の歴史が始まった。



松平郷は、豊田市街から東へ約10キロ、国道301号沿いの山村にある。東に標高684メートルの炮烙山や標高606メートルの六所山を有し、西へ行くに従ってなだらかな丘陵地となっている。東海環状豊田松平ICよりR301にて車で約15分。
有料観光ガイド申込先 ☎0565-58-1629 松平観光協会 ☎0565-77-8089。


松平親氏公像

園地の入り口付近には松平初代・親氏の銅像と7対の石柱が設けられ、いにしえの時代へと誘ってくれる。(❶)


松平東照宮

松平東照宮に現存する水濠(堀)や石垣は、松平太郎左衛門家九代尚栄によって関ヶ原の合戦の後に築かれた。はじめは八幡宮と称して松平家の屋敷神だった。1619年(元和5年)家康公を合祀し1965年(昭和40年)親氏を合祀した。松平太郎左衛門家は、大正初期までこの地に居住していた。国指定文化財。(❷)


松平郷館

松平親氏座像をはじめ、徳川将軍家の始祖松平家に関する資料を展示公開している。営業時間は10時~15時、水曜定休。(❸)




産湯の井戸

在原信盛が掘ったといわれ、松平家は代々この井戸の水を産湯に用いた。岡崎城主松平広忠の子竹千代(後の家康公1542~1616年)が誕生した際、この水を竹筒に入れて早馬で岡崎城まで届けたといわれている。(❹)


室町塀

入り口から高月院へ至る250mの遊歩道沿いの「室町塀」や「冠木門」は、室町期の歴史景観を醸し出している。(❺)




天下茶屋


武家屋敷風の天下茶屋では、おだんごなどの甘物やお茶、うどん、そばなどの食事が楽しめる。特産品などもある。営業時間は10時~16時、水曜定休。(❻)


高月院(❼)



家光寄進の将軍門(❽)

高月院は1367年「寂静寺」として、足利次郎重宗の子信政が松平郷主在原信重の援護を受けて建立されたといわれている。1377年に親氏が本尊阿弥陀仏をはじめ、堂・塔のすべてを寄進してから「高月院」と改め、松平氏の菩提寺となっている。その後、家康公によって寺領100石が与えられ、明治維新まで時の将軍から厚い保護を受けていた。山門や本堂は、1641年に徳川家光によって建てられたといわれている。本堂では写経もできる。高月院境内は国指定文化財。



松平郷展望テラス

自然のなかをもっと歩きたいという人は、松平郷展望テラスや松平城址まで足をのばしてみるのもいいだろう。豊田市街はもちろん、見晴らしの良い日には名古屋駅周辺の高層ビルや東山タワー、名港トリトン、さらに伊勢湾や三河湾対岸の鈴鹿山脈・養老山脈までも眺望することができる。駐車場より約950メートル、徒歩約15分。(❿)


松平城址

松平東照宮の南にある御城山には、親氏が築いた郷敷城ともいわれる山城があった。城には本丸と二の丸があったといわれ、山腹には山を包むように約400メートルの空堀の跡が残っている。室町時代の典型的な山城であったと推測され、日頃は松平郷の居館に住み、いざ戦となるとこの城に立てこもったといわれている。国指定文化財。(⓫)


取材場所
松平郷 Google Map
ウェブサイト
http://www.matsudairagou.jp/