お大の方由緒の地、武人の足跡も。
JR・名鉄刈谷駅周辺の賑わいから離れて、西へ約2km。境川を渡れば知多半島である。その手前、なだらかな丘陵地一帯に亀城公園があり、お大の方由緒の地、椎の木屋敷跡もある。
桜の名所としても知られる亀城公園は、刈谷城本丸跡中心に位置している。刈谷城は天文2年(1533)に築城された。背後に海をひかえた堅城だった。今年は築城から480年になる。
江戸時代になって、水野勝成を初代藩主として9家22人の譜代大名が刈谷城に在城していた。城外近くにあった椎の木屋敷は、徳川家康の生母お大が岡崎の松平広忠に離縁された際、一時期暮らしたといわれる。そんな歴史の流れを心にとめながら、この一帯を歩いてみよう。刈谷の武人たちの足跡を知ることもできる。

刈谷市郷土資料館前で。昭和3年に亀城小学校本館として竣工。大切に受け継ぎ、昭和55年から郷土資料館として利用されている。表現主義建築(建築のデザインに自由さを持ち込んだ)の第一人者であった大中 肇(当時刈谷在住、現在の熊本県天草市出身)の設計。当時としては珍しいRCコンクリート造りの小学校だった。平成11年には国の登録文化財になっている。(❺)

市原稲荷神社。白雉4年(653)亀狭山に瑞兆が現われ、その地に社殿を創立したのが始まりという。本殿の脇より出た大きな石の玉が稲荷の玉として祀られている。この玉に触れた参拝者が子宝に恵まれたとか、病気が治ったとか、諸願成就の石の玉として知られる。(❽)

知立東浦線の街なかに宍戸弥四郎の碑がある。宍戸弥四郎は天保4年(1833)この地に生まれ、江戸で兵学を学んだ。その後、各地を巡り勤王の志士と交流を深めた。文久3年の天誅組の乱に合図係りで参加している。(❾)

ひときわ目立つ創業140年の看板と店舗。十念寺向いにある市川呉服店は明治4年の創業。もともと武士だったが、廃藩置県で武士をやめ、呉服店を始めた。現在の市川裕大社長は6代目になる。当初は、お城の町口門の所で店を構え、肴町、本町など同地が商業の中心地だった。昭和48年、現在地に店を移したが、ここはもともと武家屋敷だったところで、元の屋敷に戻ったことになる。(⓫)
※この記事は2013年01月10日時点の情報を元にしています。現在とは内容が異なる場合がございます。