新美南吉の面影偲んで、まちなか歩き。
東海道線が開通し、JR安城駅が開設したのは明治24年。駅前の商店街には、その当時からの老舗も多い。本町通り、御幸通りを中心に、飲食店、書店、ギャラリー、金物店、自転車店など、軒並みに個性的な店が並ぶ。舗道も整備され、歩いて楽しい商店街である。
今、この商店街のあちこちに、色彩豊かな壁画が描かれて、人目を集めている。童話作家・新美南吉やその作品をモチーフにした壁画である。
「ごんぎつね」「でんでんむしのかなしみ」などの作品で知られる新美南吉は、半田市の出身。昭和11年、東京で喀血し、失意のうちに帰郷するが、昭和13年3月、安城高等女学校の教員となる。新任の南吉を待っていたのは、新入生の56人だった。南吉は自ら希望して卒業までの4年間、担任を続け、英語と作文を教えた。「きびしいけど、やさしかった」と生徒たちは話している。
転校する生徒に花束を贈り、欠席の子の心配をしたり、病気の生徒を何度も見舞ったりもしている。南吉としては、短い生涯の中でも充実した日々であった。「おぢいさんのランプ」「牛をつないだ椿の木」「花のき村と盗人たち」などの代表作が安城時代に書かれている。昭和18年3月、永眠。29歳7ヵ月だった。
来年は南吉生誕100年になる。南吉の教えはその後の生徒一人ひとりの心の中に生きている。「新美先生が私達に残してくれた作品や日記をとおして、人生の様々な質問に解答を示して下さっている。いわば歳月を越えた授業です」と、教え子の一人、加藤(旧姓山口)千津子さんは記している。
南吉は新田町の下宿を出て、駅前から御幸通りを歩いて学校へ通った。この商店街で買物をし、食事をした。その体験が作品のモデルやモチーフになっている。南吉の面影をたどりながら、街歩きを楽しんでみよう。
明治32年創業の吉野屋前で。ここは南吉も訪れていた。創業当時は料亭だったが、今は鰻と日本一の出荷を誇る安城産いちぢくを使った、いちぢく会席(8月20日から2ヵ月)で知られる。(❸)
伊藤商店の店内は、かつお節の香ばしさに満ちている。南吉もこの香りを楽しみながら通勤していたのでは…。創業当時からのかつお節削り機が今も現役。。「16枚の刃の刃先がみな揃わないと一定に削れません」と、熟練の手作業で削るおかみの伊藤佳子さん(写真左)。極上花かつお、かつお厚削りほか、今も量り売りで対面販売している。(❻)
※この記事は2012年07月10日時点の情報を元にしています。現在とは内容が異なる場合がございます。