昭和38年頃の池田屋




 絹問屋を営んでいた初代長坂権四郎は明治15年、岡崎市伊賀町にて蒟蒻屋を創業した。先祖の出身地である矢作町池田の地名を取り、屋号を「池田屋」とした。明治39年、長坂重三郎が二代目を継ぎ、昭和21年に長坂重市が戦地より復員して三代目を継ぐ。昭和38年に四代目長坂信一が継ぎ、その後昭和57年に現在の岡崎市井田南町に移転。そして昭和60年、現在の代表である五代目長坂光司が家業に入り、創業130年を迎えた平成24年に五代目として代表に就任した。
 「三代目まではすべて手作りでしたが、現在ではほとんどの蒟蒻屋さんが機械製造。でもうちは受け継がれてきた手作りの技や精神をとても大切にしています」と語る五代目。手作り時代の「バタ練り」の手法や技を基に、当時の食感と味を再現している。「池田屋の蒟蒻はひと味違う」と好評な秘密はここにある。


生芋缶茹で風景

 池田屋では、平成12年から地産地消の取り組みを始めている。それまではほぼすべてが群馬県産蒟蒻芋だったが、かつての大産地であった愛知県作手村に種芋を持ち込んで農家に栽培を依頼。そして平成21年「目に見える場所での生産」をテーマに岡崎の農家に依頼して地元での蒟蒻芋栽培が始まった。
 また、池田屋では大正年間から心太作りを始めている。「透明すぎて中身が見えないから気を遣う」とスタッフが漏らすほどの透明感が売りの心太。天草を半日かけて徹底的に洗うため雑味のない透き通った心太ができる。粘りとコシを出すため、厳選した4種の国産天草を独自の配合で圧力をかけず、じっくり煮出したこだわりの逸品。品質と味が認められ、東海テレビ スタイルプラス 東海仕事人列伝で「ところてん職人」として平成26年に取り上げられた。
 「昔に比べて蒟蒻や心太を若い人たちが食べなくなってきている。このままでは食文化が消えていってしまう。何とか後世に伝えていきたい」と五代目。池田屋では、梅みつ・黒みつ・桜みつ・檸檬みつを新発売するなど商品開発にも積極的に取り組んでいる。西尾の抹茶を使用した抹茶みつを現在企画中で今シーズン中に商品化する予定だという。


心太の新商品


蒟蒻・心太一筋 池田屋

所在地
愛知県岡崎市井田南町8番地7 Google Map
電話番号
0564-21-1512
ウェブサイト
http://www.ikedaya-okazaki.jp/