「倚りかからず」「自分の感受性くらい」などキリリとした詩を多く残した現代詩人茨木のり子は、幼少期から女学校卒業までを愛知県西尾市で暮らした。昨年8月、故郷である西尾市で「茨木のり子 没10年 記念講演会」が開催された。講師は、茨木のり子と交流のあった元NHKアナウンサー山根基世氏。茨木のり子はどのような人物だったのだろうか。講演の一部を紹介する。


講師 山根基世氏


 茨木のり子さんは、私が少女の頃から憧れてきた方で、たぶん、私と同じ団塊世代の方達は皆、憧れてた方だと思います。そんな憧れの方に、最晩年の2年間お近づきさせていただき大変幸せな時間を過ごすことができました。私自身がひとりの働く女として、いろんな思いを味わいながら生きていくなかで、茨木さんの詩がどんなに私を支えてくれたことか、そんなことを私自身の人生と重ねながらお話しさせていただきたいと思います。  茨木さんに初めて接近したのは「ラジオ深夜便」が糸口でした。私は1999年と2000年、2年間ラジオ深夜便を担当したんです。その頃、私は50歳。当時のアンカーの中では最年少でした。この番組の最終回に出演していただいたのが「石垣りん」さん。後でわかったのですが、りんさんは茨木さんと大親友だったんです。  私が石垣りんさんの詩の素晴らしさを識ったのは、茨木さんの本を通してでした。それは「詩の心を読む」という岩波ジュニア文庫です。私はあの本でどんなに素晴らしい詩に出会えたかわからない。そのひとつが、石垣りんさんの詩だったんです。  ラジオ深夜便を外れて、昼間の「土曜・ホットタイム」に移りました。2時間近いインタビューコーナーがある番組で、4年間担当させていただきました。その最後に、昔から憧れていた茨木さんに是非出演していただきたいと思いました。テレビやラジオに殆ど出演なさらない茨木さんですから、お手紙をさし上げたり、お電話したりして、一生懸命お願いして、ようやく承諾していただきました。忘れもしない2004年3月13日の土曜日です。  当日、茨木さんがスタジオにおいでになった瞬間、パーっと場が華やぐんですね。強いオーラを発していらっしゃるのを感じました。私が長年、憧れてきた茨木さんの詩そのものが、人間の姿をして顕れたっていうような気がして、端正な花のような人だと思いました。  大柄で、宝塚の男役スターみたいだとも言われていたようですが、本当に彫りの深い美しい顔立ち、落ち着いた温かい声で、選び抜いたご自分の言葉で語ってくださる方でした。憧れた方に会うのはやはり緊張しますよね。でも、人を緊張させない、温かく柔らかい雰囲気を持ちつつ、非常に品格のある方でした。  番組ではやはり、詩を読まなければならない訳です。私は、茨木さんご本人に読んでいただきたかったんです。お願いしても絶対に読まないとおっしゃって。朗読というのは、全部の内容を体の中に入れて、そしてそれを聞いている人の耳にではなく心に届ける。それが朗読なんです。「私、とても茨木さんの詩を朗読はできません。音読させていただきます」といって、茨木さんがいらっしゃる目の前でマイクを挟んで読ませていただきました。


「倚りかからず」
もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ

 「倚りかからず」という詩を読んで、お話を伺っていると、茨木さんは「詩っていうのはね、作るんじゃないんです。生るんです」とおっしゃっていました。りんごが実るように、詩も生るんだそうです。詩それぞれによって生るまでの時間は違う。たとえば「倚りかからず」は40年かかっている。この詩の種は、40年前に父親から聞いた言葉だったそうです。
 茨木さんのお父様は開業医で、たいへん地域の人達に愛された方だったようですけれども、若い頃、ヨーロッパに留学なさっていたんです。そこで見てきた女性たちの生き方、そして日本に帰ってきて見た時の女性の生き方。女性だけではなくて、日本人そのものの生き方に対して、ちょっと疑問を抱いていらしたようでした。「人は皆自立すべきである。日本人はどうも依存しがちである。家族、親、兄弟といえども人は自立して生きるべきだ」。お父様は、自立の大切さを茨木さんにお話しになっていたそうです。「人は、自分の二本足のみで立っていて、なに不都合のことやある・・・」この詩が生るまでにも、茨木さんが少女の時から自立について考え続けてきた歳月があった訳です。
 自分の頭できちんとものを考えること。権威ある人の言葉を決して鵜呑みにしないことをご自分に課していらしたんですね。出来合いの思想、出来合いの宗教、出来合いの学問、そこに倚りかかっていてはダメ。本当の自分の考えはどうなっているのかをきちんと考えるべきだ、という思いが非常に強かったんだと思います。
 茨木さんの前で読んだ時、茨木さんはフッと笑いながら「我ながらずいぶん威張った詩ですね」とおっしゃる。「詩というのは、散文と違って言葉を削って削っていく、だからどうしても強くなってしまうんですね」と、ご自分を恥じていらっしゃるんです。強いということを誇ったりなさらないんです。
 私が思うに、茨木さんの中には、権威みたいなものに寄りかかって、自分の考えを持たずに、従来の価値観に従って生きていくのではなく、一人ひとりが、人はどう生きるべきかを考え、自立した思想を持った時、誰もが幸せに生きられる世の中が実現するはずだ。それなのに、何故私たちは、自分の感性で感じたことを信じ、自信を持ってそこで立っていることができないんだろうというもどかしさがあったのではないかと思います。それを、どうしても言わずにいられない。でも、言わずにいられない自分をちょっと恥じていらっしゃるんじゃないか。
 茨木さんの詩は、最後のところでヒョイとかわして、ユーモアで煙にまいてしまうようなものが結構ありますよね。それは多分、彼女自身が、そういう直情径行な正義感を持て余すようなところがおありになったんじゃないのか、それを韜晦するために、柔らかい表現で詩にしていらっしゃるんじゃないか、という気がしました。
 この単純に見える詩が15万部の大ベストセラーになったのは、40年かけて彫琢された言葉だったからではないでしょうか。彼女のなかで磨き抜かれた言葉。だから、目には見えないけれども、そういうものが見えない力になって、人の心を動かす詩になっているのかなというように思っています。


元NHKアナウンサー

山根基世氏