そもそも祇園祭とは…

 夏といえば祭りを挙げる方も多いでしょう。西尾市内でも夏には多くの祭りが行われます。そのうち、西尾城下で盛大に行われる祭りといえば祇園祭です。西尾城下の産土神である伊文神社の祇園祭は歴代の殿様に庇護・奨励され、現在でも夏の風物詩として親しまれています。
 〝祇園祭〟と称する祭りは日本各地で行われています。そもそもどういう祭りなのでしょうか。
 その始まりは、平安時代に平安京の都市化により疫病が流行し、疫病を広める疫神(御霊)を鎮めるために始まった御霊会です。貞観5(862)年に神泉苑で、同11(869)年に京都祇園社(八坂神社)で御霊会が行われました。牛頭天王(祇園精舎の疫病神)を祀り、66本の鉾に疫神を集めて神泉苑へ送りました。その後、祇園社で御霊会を行うことが恒例となります。これが〝祇園御霊会〟です。平安時代後期には神輿や鉾の行列に神楽や田楽、花笠踊りなどの芸能者、着飾った稚児行列などが加わり、華やかな見世物になっていきました。さらに、鉾が大型化し、車台をつけて曳くという現在の形へと変わっていきました。中世以降、町衆の祭りとして発展し下京六十六の町から山鉾を競って出すようになります。これが地方へ伝わり、日本各地で〝祇園祭〟が行われています。祇園祭は〝町〟で行われる祭りです。

西尾の祇園祭のはじまり

 そのはじまりについて定かではありません。享保16(1731)年の国枝斎賢撰『伊文山牛頭天皇祠記』(伊文神社蔵)によると、古くから六月既望(陰暦の16日の夜)に、太鼓や笛、神楽歌の行列、神官が女装して牛に乗り神輿を先導し、短冊をつけた笹を手にして城外へでて疫病神を祓う儀式を行います。また、宝永3(1706)年に初めて頓宮(御旅所)を大手門外に建て、3日間神楽を奉納しました。疫病神を祓う御霊会としての形が記されています。
 そして、『三西栄社考』(岩瀬文庫蔵)には、毎年6月15日・16日に天王祭礼が行われ、大手門の外に御旅所を建て、15日の辰の刻に神輿を渡御し、夜に神楽を行います。翌16日には城主の名代が参拝し、神楽を行い、横町須田町から新門へ入り、太鼓門姫丸から八幡宮へ渡御。一時(二時間)ほどの後、城下町を巡って還ってきます。このとき、城主から鉄砲十挺・弓十張・玉箱・矢箪笥・長柄十本を持たせて警護をさせました。警護と称して天王町・肴町・須田町・本町・中町・横町から踊りの車、大名行列、獅子舞、花車の練り物を出すようになりました。
 この頃から祭礼は2日にわたり、6ケ町が思い思いの奉納催し物を始めます。正徳のころから天王町の獅子舞・肴町の大名行列が始まり、寛延2年になると天王町・肴町が14日の夕方に町ぞろいを始めました。御旅所も一段と盛況をましていったのです。
 尾張藩士の絵師である小田切春江が西尾の8つの名勝を描いた『西尾八景』(写真1)に「祇園会御旅所」が描かれています。須田町の御用達商人だった辻利八が弘化3(1846)年に刊行販売したこの錦絵は摺りが完全でない未完成品ですが、御旅所では「祇園会」「祇園祭礼」などののぼりがたてられ、多くの人々で賑わっています。右下に描かれているのは練り物の一つ、大屋形でしょうか。1枚の錦絵から当時の人々も祇園祭りを楽しんでいたことが窺えます。
 文政3年に神官であり、国学者でもある新家千足が著した『御剣社伊文社年中行事記』(写真2)は年中行事の記録です。6月5日に神輿・御道具をもつ日雇人を集め、8日には注連縄を綯います。10日に天王宮のお湯立があり、赤飯を食べるそうです。この赤飯は町々村々より初尾(神社へ奉納する農作物や金銭)として献上されたもの。14日には御旅所を建て、八幡宮などを掃除します。15日は八幡宮への渡御、そこでは奉幣に御胡酒、茄子大角豆、木瓜、御肴を各二膳用意します。16日に還御して解散です。千足の代からは17日まで神戸役は出仕すると記されています。


『西尾八景』(西尾市岩瀬文庫蔵)(写真1)

『御剣社伊文社年中行事記』(新家家蔵)(写真2)




近代の祭礼


『祭礼役割帳』(個人蔵)(写真3)


(写真4)

 近代に入っても祭礼は盛大に行われ、大正年間の祇園祭の記録が多く残されています。
 その一つ、大正5(1916)年7月に記された『祭礼役割帳』(写真3、4)は、須田町の祭礼係が書き留めた記録です。「警固」には辻利八や岩瀬弥助をはじめとする町内の有力者の名前が列挙されています。ほかに先車附、館附、踊掛り、囃子方取締、会所、茶番、先車引、囃方などの役割とそれを担う人たち、さらには祭礼当日のことも書かれています。
 「15日の午前7時に伊文神社へ出揃い、式が済み次第一番から順次奉納をして神輿を繰り出すこと。奉納物を行うのは30分以内であること。午後及び夜は協議の上繰り出し、夜12時前に繰り込み、説教場で休み、1時間後1番から引き取ること。そして、16日には午前7時までに説教場へ出揃い、8時から順次繰り出すこと。夜は12時前に伊文神社に繰り込み、還幸し、神酒を開け1番より順次、奉納の後引き取ること。神輿は矢場町・大給町・鶴ケ崎をめぐる際は例年通り各字まず看板役と伍々長が先導すること。」当時の祭礼の様子が詳細にわかります。
 西尾城下の祭礼として西尾城主に庇護・奨励されてきた祇園祭。今年も盛大に開かれる祭りを当時の人たち同様に楽しみましょう。


西尾市教育委員会 文化振興課 学芸員

青木 眞美